「Burn.」 読書感想  [NEWS]

シゲアキさんの舞台がはじまって、1週間になりますね。
さ来週末には大阪での幕が開きます(updated)。
そこに向けて、気持ちをきりかえていこう!ということで、今更ながらですが、シゲアキ先生の渋谷サーガ三部作の最終章「Burn.」の感想をあげます。

盛大なネタバレがあります。
そして、いつものように長い、長すぎるし、偏っております。
それでもいいよ、という方はどうぞお進みください。



さてさて、この「Burn.」、発売は、友人からメールで教えてもらったのですが、三作目のタイトルが「Burn.」と知った瞬間、

「え?ハードロックなの?燃えちゃうの?燃やしちゃうの?」

と思ってしまいました。
ハードロックが好きな人(好きだった人)は、この4文字をを見ると、まずはDeep Purpleのかの名曲「Burn」を連想すると思います。少なくとも私はそうでした。

その後、すぐに角川のHPを見に行き、そこでの紹介文に「家族とはなにか」「愛とはなにか」を問う作品と書いてあるのを読んで、家族の話だったらロックじゃないか、そういえば、シゲアキさんの題にはピリオドがあるなあ、と思い直し、まだ独身のシゲアキさんがどんな風に家族を描くのかな・・などとぼんやり思っておりました。

で、発売日。本屋さんでこの本が棚に並んでるのを見て、ミヒャエル・エンデの「モモ」みたいな色使いの表紙だな、が第一印象。リスやバラなど具象に、子供を意識しているのかな、とか、「Burn.」というタイトルとあんまり結びつかない静的な表紙だな、と感じたんですが、表紙を開いて、序文に書かれているGuerrilla Radioの詞を読んだ瞬間、あ、やっぱりこの小説はロックなんだ、と。

Deep Purpleではなく、Rage against the machine (RATM)というロックバンド(バンド名と歌詞からかなり反骨的な感じする)がベースにあるんだ、と思ったものの、本を読み始めた時点ではこのバンドの知識はほぼ皆無でした。すぐにネットで検索するか、読後検索するか迷った末、RATMについては、読み終わったら検索しよう、と決めて、先に進みました。

今回もシゲ先生らしい言葉遊び(Burn-魂を燃やす(一生懸命生きる)、物体を燃やす、物体が燃える。Rage -怒り、レイジ(主人公の名前)など)や言い回し(瞼を握るように・・等)が、目に留まります。だけど、前作よりはずっとその使い方が洗練されて、分かりやすくなってます。

だけど、洗練すぎ?あんまりひっかかりなく(いや、違う意味でいろいろひっかかる部分もあったんだけど)するするとあっという間に最後まで読めてしまいました。あんまりあっさりと読み終わってしまい、正直、前の2作のようには、感情が乱れなかったです。Burn.=「魂を燃やせ」という言葉が持つ「熱量」は、残念ながら私には届かなかったすね。
伏線や言葉が持つ意味を、慎重に積み重ねすぎた結果、作為的な印象が強くなったかな。もう少し背景が深く、丁寧に描かれていたらいいのにな、と思った箇所もあったので、この物語を描くには、ちょっと枚数が足りなかったようにも思います。

そういうこともあって、今回は、前作にくらべ、より登場人物や作品中の出来事とシゲ先生とのリンク付けに意識が向きました。

ドラァグクィーンのローズの登場に、以前WKTKにゲストで来られたブルボンヌさんが重なって、こういう社会的マイノリティの人に、シゲ先生は本当に親近感をもっているんだな、そういえば、ホームレスも社会的マイノリティだな、とか思いながら読み進み、物語の最後に起こった徳さんの最期に、政治抗議のために焼身自殺したベトナムの僧侶や、フランシーヌ・ルコント(”フランシーヌの場合”は、という歌に登場する方です)を連想。ただ、二人の焼身自殺はどちらも1960年代の出来事だったので、私の中では1987年生まれのシゲ先生と、うまく結びつかずにいました。ですが、このエントリーを書くにあたって、ウィキでRATMの項目を読んだら、なんと!RATMのファーストアルバムのジャケットは、まさにこのベトナムの僧侶ティック・クアン・ドックの焼身自殺の写真、と書いてあるではありませんか!(驚愕)。そっか、RATMで繋がっていたんですね。そっか、そっか。

この小説のテーマは、「家族」や、「愛」なんだろうけど、私が一番、驚きとともに興味深いと感じた箇所は、序文や、徳さんの死に方で象徴される社会、政治に対する抵抗、批判でした。渋谷再開発の描き方は、シゲ先生の政治に対する考え方の一端を示すようで興味深かったです。 アイドルというのは、政治とは無関係で、どちらかというと対極にいるように感じていたけど、彼らも選挙権のある立派な大人で、ちゃんといろいろ考えてる、と普段忘れがちなことを思い出させてくれました。

ただ、この要である徳さんの死が、衝撃的な焼身自殺であったために、逆にこの作品にリアリティが無くなり、ファンタジーになってしまったとも感じました。(まあ、こう感じたのは私だけかも)。
というのも、魔法のように火を操る徳さんという人が、最後の最後まで、ただのマジシャンだったのか、人体発火現象をもつ特異体質の人だったのか、魔法使いだったのかが、私にはあいまいで・・・普通に考えると、マジシャンだったんだろうけど、いつも軍手をしていたという部分とか、その火をつける描写とかがあまりにそれっぽいので、ついつい、本当のところはどうだったんだろう、と考えてしまいました。まあ、そう考えてしまうのは、やはり、Deep PurpleのBurnの影響なのかもしれません(注)。

と、私はこの本からこんな感想を持ち、その言葉からいろいろ思いを巡らせましたが、シゲ先生の世代が読んだ感想は、私とは全く違うものなんだろうな・・。
世代だけでなく、子供がいる方、いない方、渋谷を知っている方、知らない方ですごく違ってくるのかも・・なんてことも思いました。

最後に、「ピンクとグレー」から始まった渋谷三部作全体を通した感想です。
これまた、偏っています(苦笑)。
広いお気持ちでどうぞお進みください。

まずは、シゲ先生と渋谷の街について。
シゲ先生にとって、渋谷というのは、人生の多感な時期を過ごした、そして今も過ごしている特別な場所なんですね。物語はフィクションですが、自分の体験や経験、時代が作品の中にストレートに映し出されていて、街がシゲ先生に与えた影響は大きいんだな、と。 そして、現時点では、シゲ先生は資料を調べてフィクションを作るというより、自分の経験に基づいた出来事や感情を書くタイプとお見受けしました。

次に、シゲ先生の自死に対する考え方です。今回の徳さんの最期を読んで、シゲ先生は自死ということに、あまり抵抗がない人なのかな、という疑問がでました。だって、3作のうち、2作の重要なイベントが自死、というのはかなりな確率のような気がします。徳さんがその道を選んだ時、申し訳ないけど、また?とか思ってしまった(上からですみませんっ)。単純に、若いからなのか、はっきりとした信念があるのか、他に理由があるのかわかりませんが・・・気になります。

さて、その自死を選んだごっちと徳さんですが、愛する者(姉もしくは恋人)を失ったという過去がある所が2人には共通しています。そして、2作目は、妻を亡くしたカメラマンが主人公ですし、三作目の主人公レイジは、失われた記憶を物語中で取り戻して(再生して)いきます。となると、この渋谷3部は、大切な近しいもの(人・もの)を失った男がその後をどう生きるのか--欠けたまま自分も失ってしまうのか(ごっち、徳さん)、もしくは、そこから再生するのか(巧、レイジ)--が主題だったのか、と深読みしてしまうのは、私がNEWSというグループの歴史とシゲ先生を重ねてしまうからなんでしょう。

また、深読みといえば、この3作の中で重要なポジションを占める女性は、なんか真っすぐで、芯が強い人が多くないですか?ひょっとして、そういうタイプがシゲ先生の理想なんでしょうか・・・・はいっ、深読みし過ぎですね。すみませんっ。

・・・さて、冗談はさておき、これだけいろいろシゲ先生について、考察(妄想?)した時間は、ほんと、楽しかったです。

ということで、シゲ先生、次の作品も待ってます。




注:Deep PurpleのBurnは、中世の魔女狩りを彷彿とさせるような歌詞です。彼女が世間に弾圧されている感じや「She makes you burn with a wave of her hand.」という一節が私の中で徳さんに重なってファンタジー色が強いと感じたのか・・?と自己分析中。
(updated: シゲ先生舞台の日付、来週じゃなくてさ来週。)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。