東郷かおる子さんのトークショー感想(QUEEN来日決定記念記事その1) [海外アーティスト]
昨年冬から怒涛のQUEENライフ。
嬉しいことに念願の来日も決まり、無事京セラドームのチケットも入手できました。ほくほく。
チケット入手記念(?)として下書きのままにしていたQUEEN関連記事を2つあげます。
まずは、ミュージックライフ元編集長の東郷かおる子さんのトークショーについて。
==========
4月24日にumeda TRADで開催された「ミュージック・ライフが見た!クィーン~クィーンと過ごした輝ける日々~」に行ってきました。年始にあった第一弾は気づくのが遅くてチケットが取れなかったので、第二弾があったのは非常にうれしかったです。
同行者は姉。
1970-1980年代に戻ったような非常に楽しい濃い時間を過ごさせてもらいました。楽しかった!!
ということで以下ざくっと感想です。
=======
日時: 2019/04/24、1900-
場所: umeda TRAD (旧umeda AKASO, 1980年代はバナナホールという名前だったところです。懐かしい・・・)
出演者:東郷かおる子(元ミュージックライフ(ML)編集長)
増田勇一(映画ボヘミアン・ラプソディ字幕監修者。元ML編集長)
司会:加美幸伸(FM COCOLO)
構成:1900-1930: ML特選スペシャルスライドショー
1930-2100:トークショー
2100- :サイン会
会場内の様子:ポスター大の当時のMLの表紙(QUEEN)が会場の前と後ろに計8枚ほどかざってありました。あまりのなつかしさにテンションがあがりました。
私が当時よく読んだ音楽ライターさんでお名前を憶えているのは、渋谷陽一さん、大貫憲章さん、そして東郷かおる子さんの3名。特に東郷さんはミュージシャンと一緒の写真もあり羨望の対象でもありました。
その東郷さんを数十年を経て直接拝見する機会がくるとは・・感無量でした。
ショートカットは当時と変わらず。ものすごく端切れのいい口調の江戸っ子でした。
お話は基本的に先日発売された本からのお話という印象でした。
東郷さんのお話の中で、印象に残ったエピソードはブライアンとロジャーの脱走話とリッジファームを訪れた時の裏話でした。
特にリッジファームの記事は当時暗記できるほど読み返したものなので、感慨深かったです。
当時の記事からもQUEENが取材陣をとても歓迎したのが伝わってきましたが、今回のお話からも歌付けされました。フレディーは写真のために自主的に着替えるなど素晴らしいサービス精神を発揮してくれたそうです。で、当時の記事を確認したところたしかに上着を着替えていました!
フレディの場合はゴールド⇒金糸刺繍のジャケットにお着換え。ただ、残りの三人も着替えてましたね。ただ、3人はジャケット+Tシャツまたはシャツ⇒Tシャツまたはデニムシャツだから「私たちために着替えてくれた!」という印象が薄かったのでしょう。
増田さんのお話で印象に残ったのは、ボヘミアン・ラプソディの翻訳で苦労した話。字幕は文字制限があるのでとても難しかったそうです。ロジャーの楽曲についてブライアンとジョンが批評するときに堪忍袋の緒がきれたロジャーがコーヒーメーカーを投げようとするシーンでは、秒数などからその場面の文字数は6文字以内とだめだったので、英語そのものの「コーヒーマシーン」という8文字を使うのは無理だったそうです。そこで、彼らがコーヒーマシーンといっているので意味が通じると判断して「それはよせ!」という字幕になったそうです。なるほど。
あと、増田さんのQUEENライブデビューが私と同じ1979年であったことがうれしい驚きでした。当時のチケットは3000円(3500円?)だっただそうです。私は金額を憶えていませんが、お小遣いで買えたので、それぐらいだったはずです。
そして、今回の来日チケットは最高価格5万円、最低価格12000円。
40年という月日がたったとはいえものすごいですね。
増田さんはライブチケットが若い世代にも手が届く値段であってほしいといっておられましたが、来年の値段設定は微妙ですね。ライブだけが音楽を楽しむ手段ではありませんが、やはりライブは別格です。あの広い空間で多くの観客とつくりあげる雰囲気は特別だと思うのでぜひ、いろんな世代の人に聴きに行ってほしいと私も思います。
ところで、このトークショーの”つかみ”ともいえるオープニングのスライドショーも非常に楽しかったです。観客の声が一番上がったのもここだったように思います。このスライドショーでは、1972-1982年頃のミュージックライフの表紙とライブ@レインボーシアターからの1曲流れました。
表紙のスライドの時代の懐かしいスターの写真に客席のあちこちから歓声があがりました。
私たちも懐かしさに、歓声を、あげていたのですが、一番大きな声をあげてしまったのが1982年のジャーニーの表紙。この時ばかりは姉と二人で黄色い声をあげてしまいました(恥)。
ということで、その表紙ネットで見つけたのであげておきます(←!)
嬉しいことに念願の来日も決まり、無事京セラドームのチケットも入手できました。ほくほく。
チケット入手記念(?)として下書きのままにしていたQUEEN関連記事を2つあげます。
まずは、ミュージックライフ元編集長の東郷かおる子さんのトークショーについて。
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4月24日にumeda TRADで開催された「ミュージック・ライフが見た!クィーン~クィーンと過ごした輝ける日々~」に行ってきました。年始にあった第一弾は気づくのが遅くてチケットが取れなかったので、第二弾があったのは非常にうれしかったです。
同行者は姉。
1970-1980年代に戻ったような非常に楽しい濃い時間を過ごさせてもらいました。楽しかった!!
ということで以下ざくっと感想です。
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日時: 2019/04/24、1900-
場所: umeda TRAD (旧umeda AKASO, 1980年代はバナナホールという名前だったところです。懐かしい・・・)
出演者:東郷かおる子(元ミュージックライフ(ML)編集長)
増田勇一(映画ボヘミアン・ラプソディ字幕監修者。元ML編集長)
司会:加美幸伸(FM COCOLO)
構成:1900-1930: ML特選スペシャルスライドショー
1930-2100:トークショー
2100- :サイン会
会場内の様子:ポスター大の当時のMLの表紙(QUEEN)が会場の前と後ろに計8枚ほどかざってありました。あまりのなつかしさにテンションがあがりました。
私が当時よく読んだ音楽ライターさんでお名前を憶えているのは、渋谷陽一さん、大貫憲章さん、そして東郷かおる子さんの3名。特に東郷さんはミュージシャンと一緒の写真もあり羨望の対象でもありました。
その東郷さんを数十年を経て直接拝見する機会がくるとは・・感無量でした。
ショートカットは当時と変わらず。ものすごく端切れのいい口調の江戸っ子でした。
お話は基本的に先日発売された本からのお話という印象でした。
東郷さんのお話の中で、印象に残ったエピソードはブライアンとロジャーの脱走話とリッジファームを訪れた時の裏話でした。
特にリッジファームの記事は当時暗記できるほど読み返したものなので、感慨深かったです。
当時の記事からもQUEENが取材陣をとても歓迎したのが伝わってきましたが、今回のお話からも歌付けされました。フレディーは写真のために自主的に着替えるなど素晴らしいサービス精神を発揮してくれたそうです。で、当時の記事を確認したところたしかに上着を着替えていました!
フレディの場合はゴールド⇒金糸刺繍のジャケットにお着換え。ただ、残りの三人も着替えてましたね。ただ、3人はジャケット+Tシャツまたはシャツ⇒Tシャツまたはデニムシャツだから「私たちために着替えてくれた!」という印象が薄かったのでしょう。
増田さんのお話で印象に残ったのは、ボヘミアン・ラプソディの翻訳で苦労した話。字幕は文字制限があるのでとても難しかったそうです。ロジャーの楽曲についてブライアンとジョンが批評するときに堪忍袋の緒がきれたロジャーがコーヒーメーカーを投げようとするシーンでは、秒数などからその場面の文字数は6文字以内とだめだったので、英語そのものの「コーヒーマシーン」という8文字を使うのは無理だったそうです。そこで、彼らがコーヒーマシーンといっているので意味が通じると判断して「それはよせ!」という字幕になったそうです。なるほど。
あと、増田さんのQUEENライブデビューが私と同じ1979年であったことがうれしい驚きでした。当時のチケットは3000円(3500円?)だっただそうです。私は金額を憶えていませんが、お小遣いで買えたので、それぐらいだったはずです。
そして、今回の来日チケットは最高価格5万円、最低価格12000円。
40年という月日がたったとはいえものすごいですね。
増田さんはライブチケットが若い世代にも手が届く値段であってほしいといっておられましたが、来年の値段設定は微妙ですね。ライブだけが音楽を楽しむ手段ではありませんが、やはりライブは別格です。あの広い空間で多くの観客とつくりあげる雰囲気は特別だと思うのでぜひ、いろんな世代の人に聴きに行ってほしいと私も思います。
ところで、このトークショーの”つかみ”ともいえるオープニングのスライドショーも非常に楽しかったです。観客の声が一番上がったのもここだったように思います。このスライドショーでは、1972-1982年頃のミュージックライフの表紙とライブ@レインボーシアターからの1曲流れました。
表紙のスライドの時代の懐かしいスターの写真に客席のあちこちから歓声があがりました。
私たちも懐かしさに、歓声を、あげていたのですが、一番大きな声をあげてしまったのが1982年のジャーニーの表紙。この時ばかりは姉と二人で黄色い声をあげてしまいました(恥)。
ということで、その表紙ネットで見つけたのであげておきます(←!)
2019-05-13 18:11
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